ゲシュペンスト隊の襲撃で馬車を失ったクロムウェル隊は、積んでいた荷物を分担して運ぶことで先に進む。この数日の進行で背の高い木が姿を消し、生い茂った高山植物の上に雪が積もった景色が姿を現す。
「ここで休憩にしよう」
「はぁはぁ……やっと休憩だ」
見通しの良い岩場に到着したのでジェイコブ隊長の号令で休憩を取る。ヒノキの棒を杖にして歩いてきたアキトも、増えた荷物を降ろして岩場に座り込む。しかし連日の行軍で疲れが溜まっているのか、荒くなった呼吸が中々落ち着かない。
「は~、こんなことなら運動部に入るべきだったかな」
体力も運動神経も男子高校生としては平均的でしかないため、訓練を積んだ騎士と比べれば見劣りする。それでもここまでダウンしなかったのは、怪我が治りきらないソフィア王女に合わせて進んでいるからに他ならなかった。
(本来なら今日で半分……ソフィア様の様態を考えると、あと何日かかるんだろう?)
先日の襲撃を受けて移動工程に遅れが生じている。アキトはエルフの里に辿り着くまでにかかる日数を考えていたが、その時間も長くは続かなかった。
「南の空よりキマイラが接近してきます!」
水筒の水を飲んでいたアキトは、シイの報告によって現実に引き戻される。言われた方向に目を向けると、空飛ぶキマイラが一直線に向かってくるのが見える。それは蛇の尻尾が生えた獅子の体にワイバーンの上半身がくっ付いた異形の姿だった。
「全員武器を取れ! 迎撃するぞ!」
ジェイコブ隊長の号令に従い、各自が戦闘態勢を整える。敵はキマイラの背中に4人、さらに斜面を登って来る武装した人物が6人見える。
「行くぞ、野郎ども。ゲシュペンスト隊なんて胡散臭い連中に、目にもの見せてやろうぜ!」
「「オオオオ――ッ!!」」
先頭に立っていたのは黒衣に銀髪の男であり、ログラスの町でリビングデッドを操っていたマリクだった。彼が先陣の音頭を取ると、先行していたキマイラに乗っていた4人が意気揚々と飛び降りてくる。
「目標補足、撃ち落とします」
シイは狙いを定める銃口の先に3枚の魔法陣を展開し、周囲にも青色をした魔力の球を多数浮かべる。ブラストバレルの狙撃と同時に周囲の球がレーザー【ファーストレイ】となって斉射される。キマイラが形成した白色のシールドこそ貫通したものの、魔力を纏った翼によって威力が減衰したブラストバレルとファーストレイが全弾防がれる。
「白い、魔力……?」
「アキト君、ソフィア様を守るわよ」
「は、はい」
見たこともない魔力の色にアキトは驚くが、戦闘が始まってそれどころではなくなる。マルームに言われて気を引き締めると、ソフィア王女に攻撃が行かないように警戒する。図らずともこれが、彼にとっての初陣になる。
「ぐああああ!」
「おい、寝てる場合じゃねえぞっ!」
乱戦の中ジェイコブ隊長が敵の攻撃を盾で受け流し、懐に飛び込んでレイピアを突き立てる。マリクは殺された仲間に悪態をつきながら、リビングデッドとして蘇らせる。
「あの人、味方までリビングデッドにするのか!?」
味方までもリビングデッドに変えるマリクに、アキトはデイの事を思い出して嫌悪感が沸き上がる。応戦した騎士がそのリビングデッドの足を斬り落とすも、背後に忍び寄った狼の顔をした獣人【コボルト】によって鎧ごと背中を引き裂かれてしまう。
「オラオラ、この程度かっ!」
「騎士っつても、大したことねえなぁ!」
その瞬間を待っていたとばかりに、敵は手負いの騎士を数人がかりで囲んでいたぶっている。ジェイコブ隊長たちが助けに行こうにも、マリクとリビングデッドに妨害されてしまう。
そこに息を大きく吸い込んだキマイラが接近し、吐き出した炎のブレスによってその騎士が灰燼に帰す。
(なんて酷いことを……あれ、さっきのコボルトがいない?)
戦場の惨劇から目を背けたくなったアキトだったが、敵のコボルトが姿を消していることに気付く。あたりを見渡すと緑色をした魔力の塊が1つ、回り込むようにして近づいてきているのを発見した。
「マルームさん、コボルトがこっちに来ています!」
「ちっ、なぜバレた!?」
アキトは魔力弾を撃って、魔法で姿を消していた敵を炙り出す。それでも見つかったコボルトは止まることなく、短剣を投げつけながら接近していく。
「柄に魔法が込められている!?」
アキトがシールドで受け止めると同時に、短剣の柄から魔力の鎖【チェーンバインド】が形成される。その先はコボルトの腕につながっており、鎖を動かすことで弾かれた短剣の軌道を操作する。
「素人が、足元ががら空きなんだよ」
「うわっ」
コボルトが短剣を操作して右足に絡みつかせると、チェーンバインドを一気に引き寄せる。体勢を崩したアキトはそのまま転倒し、雪が積もった斜面を滑るように引きずられていく。
「まずは1人――なにッ!?」
(トーチカ!? 助かった)
コボルトは自身の鋭く伸びた爪に魔力を集中させ、アキトを引き裂こうと腕を振りかぶる。しかしマルームのトーチカから魔力弾が放たれたことで、シールドを展開して攻撃を中断する。
「クソッ、邪魔をするな!」
(動くなら、今のうちに)
妨害に苛立ったコボルトが空を引き裂くと、爪に込めた魔力が刃となって放たれる。その隙を逃さずアキトは立ち上がると、トーチカが破壊されるのと同時にヒノキの棒を振り下ろす。
「おおっと」
(外した。いや、とにかく距離を離さないと)
「せええい!」
気付かれていたのか、最初の一撃は避けられてしまう。声を出すことで焦りと共に湧き上がる恐怖心を紛らわせ、アキトは間髪入れずにヒノキの棒を突きあげる。
コボルトはシールドで受け止めつつ、後ろに飛び退くことで衝撃を緩和させる。
「ちっ、往生際の悪い」
「ハァハァ……」
(何とかなった。けど、次はどうする?)
コボルトとの距離が離れたことで、アキトは震えながらも訓練していた棒術が通用したことに安堵する。だが、仕切り直しになっただけで危機的状況には変わりなかった。
『アキト君、そのまま動かないで』
「シイさん!」
(反対側!? そっちには誰もいないハズ……)
シイの声が突如頭に響く。念話を知らないアキトは驚いてしまい、思わず声が聞こえた方へ顔を向ける。しかしそこには誰もおらず、図らずともその行動がコボルトの注意を逸らすことになる。
「誰が回り込んで――!?」
コボルトが奇襲を警戒して誰もいない方向に一瞬だけ目を配らせたかと思うと、シイの狙撃によってその頭部が吹き飛ぶ。着弾の衝撃で脳髄と鮮血が辺りに四散し、白い地面に赤いコントラストを添えていく。
(うげぇ……気持ち悪い)
「アキト君、今のうちに早く!」
人体が破損する様子を至近距離で直視してしまい、アキトは思わず吐きそうになる。それでもマルームの声に従ってその場を離れようとするが、聞こえて来たキマイラの咆哮に身が竦んでしまう。
「ガアア――ッ!」
エーと交戦していたはずのキマイラが、孤立したアキトを狙って飛翔していた。それに気づいたマルームとシイも敵の攻撃に対応しつつ迎撃を行うが、放たれる岩石の砲弾にかき消されてしまう。
「くそっ、間に合え」
「槍持ちは俺様がやる! 他はお前らが抑えろ!」
シンはアキトを助けようと動こうとするが、マリクによって妨害される。他のクロムウェル隊も同様に、応戦を余儀なくされる。
「この、止まれっ!」
(早く、早く戻らないと……)
弾倉が空になって装填する暇もないのか、シイはライフル銃の先端からファーストレイを発射して足止めしようとする。それで稼げる時間はわずかしかないが、アキトは恐怖心を抑えながらもマルームたちの元へと歩き出す。
「え、なんで……足が動かない」
しかし少し進んだところで右足が重くなり、その先へ踏み出すことができなくなった。慌てるアキトが目にしたのは、死んだコボルトの腕と繋がれたままのチェーンバインドだった。
(そんな、逃げられない……)
キマイラの接近に恐怖のあまり手足が震えているのだが、それとは別に状況を俯瞰して冷静に分析する自分の存在にアキトは気付く。
(だとしたら、攻撃を防ぐしかない)
絡まった鎖をほどいている時間はない。逃げることは不可能であるという判断を下し、アキトは攻撃を防ぐためにキマイラを正面に見据える。
(怖い……けど、集中力を乱せばシールドの強度が下がる)
ラプラスの魔眼による思考の強化が、冷静な状況分析を後押しする。今にも破裂しそうなほど鼓動している心臓の感覚を押し殺して、アキトはシールドの形成に全神経を集中させる。
(まだ足りない。もっと、もっと魔力をシールドに!)
そしてついに目の前に迫ったキマイラが、鋭い爪を誇示するように腕を振り上げる。アキトは形成したシールドにさらに魔力を込め、その内側でヒノキの棒で防御の構えをとる。
「ガアア――ッ!」
咆哮と共にキマイラの腕が容赦なく振り下ろされる。急降下の速度と巨体の質量が加わった鋭い爪による一撃が、アキトのシールドに直撃する。
「あ……」
その衝撃に必死に耐えようとするアキトだったが、奮闘虚しくシールドは斬り裂かれてしまう。その先にはヒノキの棒を構えていたが、振り下ろされた爪を受け止めることができずに粉砕される。
(そんな、耐えられなかった)
もはやアキトに防ぐ手段はなく、無防備になったその体にキマイラの爪が突き立てられる。服が破けていく音に交じって、強引に皮膚がめくられる感覚が伝わってくる。次の瞬間には腹部に冷たい外気が入り込む感覚と、内側からあふれ出ていく生暖かい感覚が入り混じる。
(ああ、シンさん……たすけ……て)
そしてこれまでの感覚を全てかき消すように、焼けつくような痛みと押しつぶされるような痛みが同時に襲ってくる。引き裂かれた衝撃で倒れ行くアキトは、薄れゆく意識の中で助けを求める。
「ガアア――ッ!」
アキトを焼き殺そうと息を大きく吸い込むキマイラに、突如として上空から一筋の雷光が迸る。光速の一撃がキマイラの死角を完全に突き、ワイバーンの頭部が吹き飛ばされる。
「まだ生きてる。2つとも潰さないとダメか」
それは全身に雷を纏ったシンであり、続けざまに頭部を失ったキマイラの切断面に槍を突き刺す。竜の鱗を貫いた刃が骨を砕き、纏った雷光が筋肉を焼いていく。
振り切ると同時に槍から放たれた雷撃が尻尾の蛇まで貫き、ようやくキマイラの息の根が止まった。
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