あれから数日、空を飛び回るキマイラを警戒しながらの行軍に肉体的にも精神的にも疲労が蓄積していく。そんなクロムウェル隊の苦労をあざ笑うかのように、目の前にはロザリア率いる追跡部隊が待ち構えていた。
「さて、追いかけっこもここまでだよ」
進行方向を塞ぐようにロザリアたちが陣を敷き、ゲシュペンスト隊を乗せたキマイラが空を支配する。雪に埋もれた渓谷で、両者ともに残存戦力の全てをつぎ込んだ総力戦が勃発する。
「いい加減、鬱陶しいんだよ!」
異体化したエーが敵の中心で暴れている。彼はギガースと呼ばれる巨人の種族であり、5メートルほどの巨体から振り下ろされるメイスが地面を割る。
「突破口を開く、俺に続け!」
地上にいる敵はロザリアとマリクを含めて6人いる。エーの攻撃を起点にして、ジェイコブ隊長が3人の騎士を率いて応戦する。
「空は俺が抑える。下は頼んだぞ」
空中にいる4頭のキマイラは、エーの振り回すメイスに当たらないように高度を保っている。そこから岩石の弾丸を飛ばすロックバレットを放とうとするのを、雷を纏ったシンがバウンドブロックを蹴って阻止に向かう。
「アキト君、“ソフィア様”は私たちで守るわよ」
「はい、“マルームさん”」
「わたくしも微力ながら加勢します」
シンを援護するためにアキトは魔力弾を放ち、マルームに扮したソフィア王女はそれに加えてトーチカを数基展開する。そしてソフィア王女に扮しているマルームが、風の魔法で味方の援護を行う。
「1頭抜けた。攻撃が来る!?」
こちらへの攻撃を察知したアキトは両手を突き出すと、右手でグラビティを発動する。放たれたロックバレットが重力場によって減速され、それを左手のシールドで受け止める。
(よし、防げるぞ)
防御できることに安心するアキトだったが、戦況は数の不利から押され始めていた。敵はエー1人に攻撃を集中させ、動きが止まった一瞬の隙をついてロザリアが伸ばした蛇腹剣を右脚に巻き付ける。
「ぐああああ――ッ!?」
ロザリアが伸びた蛇腹剣は、分割された刀身の隙間を埋めるように緑色の魔力の刃が形成されている。その刃を立てて一気に引き斬ることで、巨大化したエーの右脚を切断する。
「ずっと後ろで、こそこそと!」
体勢を崩したエーの脇をすり抜けて、マリクは闇の弾丸【ダークショット】を連射する。アキトがトーチカと共にシールドを展開しつつ魔力弾で迎撃するが、上空からの援護もあって防戦一方になる。
(左腕に魔法の反応……これは、幻影の人と同じ!?)
「ああ! テメエ、逃げる気か!」
準備中の魔法を防げないと判断したアキトは、トーチカを盾にしてシールドを形成する。その行動に苛立ったマリクは拳を叩きつけるようにして、収束する闇の瘴気【リニアダークネス】を放つ。
(助かった。けど……)
盾になったトーチカが直撃を受けて破壊される。舞い散る緑色の魔力の破片の先に、こちらに銃口を向けるデリーターの姿が映る。アキトは回避行動を取りつつ、先ほど形成したシールドで射線を塞ぐ。
「グァ、アアァァ……」
ライフル銃の弾丸を受け止めるには、アキトのシールドは強度が足りなかった。シールドは粉々に砕け散り、突破した弾丸が左手を貫通する。
真っ赤に染まった手袋を押さえつけるも、出血も痛みも和らぐことはなくアキトは苦悶の表情を浮かべる。
「おい、余計なマネするんじゃねえ!」
「じゃあそいつは任せたよ」
援護したのに悪態をつかれて、デリーターは呆れてターゲットを変更する。キマイラを操縦して真上から放たれたシンの落雷を回避し、仲間と連携して彼を追い立てる。
「おっと、逃がすかよ」
ダークショットを放ちながら接近するマリクに対し、アキトは後退しようとする。しかし左手の痛みで魔法の制御に集中できず、歪な形のシールドが形成したそばから破壊されていく。
「ゲホ……ゲホッ」
「手こずらせやがって」
接近されたアキトになす術はなく、首をつかまれて後ろの崖に押し付けられる。その衝撃で眼鏡が落ちてしまうが、気にすることなくマリクを睨み返す。
「おい、答えろ。お前らはどこまで逃げるつもりだ?」
「……」
(喋るわけにはいかない。絶対に喋るもんか)
マリクはクロムウェル隊の行き先を聞き出そうとするが、アキトは口を閉ざす。代わりに掴まれた手を引きはがそうとするが、簡単に払いのけられてしまう。
「ちっ、喋らねえか。まあいい、ここで王女を捕まえれば関係ない。さて、こいつはどうするかな。吸血して下僕にするか、殺してリビングデッドにするか……」
(どうすれば良い? 考えろ、考えるんだ……)
「まあ、テメエみたいな雑魚を駒にしたって、魔力の無駄か」
勝ちを確信して不敵に笑うマリクに対し、アキトは諦めずに状況を打破する方法を考える。キマイラに襲われたときと同様、恐怖は感じているがそれと同時に冷静な思考が動いている。
その時の感覚を思い出したアキトは、ラプラスの魔眼に全神経を集中させる。
(!? なんだこれ……海?)
極寒の雪山にいるはずなのに、アキトの目の前には広大な海原が広がっていた。それはわずか一瞬の出来事であり、遠くから聞こえて来た敵の声で我に返る。
「マリク! チンタラやってないで、早く戻ってきな!」
仲間を殺されて押され始めたロザリアが怒号を上げる。マリクは舌なめずりをやめ、とどめを刺すために手の平に闇の瘴気を纏わせていく。
現実に戻ったアキトの意識は集中力が振り切れたのか、ラプラスの魔眼に映る状況を冷静に分析し始める。
(手から出した魔力が闇の瘴気に変換されている。これは物理的な破壊ではなく、侵食によって肉体を蝕む魔法……シールドを張れない接触状態から、体内を侵食させるつもりだ)
「いたぶってやりたかったが、姉御に言われたら仕方ねえ……」
マリクは掴んだ相手に闇の瘴気を侵食させる【ダークハンド】を叩き込もうと、腕を引いて振りかぶる。それはほんの僅かな時間だったが、今のアキトには遅く感じられる。
(それなら、侵食されるより早く魔法をぶつければいい。重力魔法なら、気付かれずに体勢を崩せるはずだ。やるべきことは分かっている……後は、覚悟を決めるだけだ)
ラプラスの魔眼によって導き出されるマリクの魔法に対して、アキトは反撃の導線を組み立てる。そして魔力を放出してグラビティの発動準備を進める。
(やっと魔法が使えるようになった。もっとこの世界について知りたい。こんな短期間で2回も死ぬなんて嫌だ。だからこそ――)
湧き上がるのは走馬灯ではなく、この世界への未練……その思いがアキトを突き動かす。
「死んじまいな!」
「死んでなるものか!」
2人の叫びが交差して渓谷に響き渡る。
(グァ、熱い……でも、これで!)
マリクの手が先に顔面を捕らえ、闇の瘴気を侵食させていく。触れられた部分に激痛を感じながらも、アキトはグラビティを全力で発動させる。
マリクの身体は突然の重力に引きずられ、態勢を維持するために攻撃を中断する。
「小癪なマネを」
「これで、これでもう! ……うっ」
マリクの手から解放されたアキトは魔力弾を撃ち込もうとする。しかし顔の左側から焼けつくような痛みを感じて魔力が四散し、血まみれの左手で抑えながら体当たりして転倒させる。
「こんな痛み! あの時に比べたら!」
アキトは叫ぶことで痛みを忘れ、ホルダーからナイフを取り出す。マリクはダークショットを打とうとするが、それよりも先に左手を突き刺されて不発に終わる。
「このっ、てめえ、どきやがれ!」
「このまま沈め!」
マウントポジションを取ったアキトは、さらに魔力を込めて重力場の出力を増幅させる。そして右手でマリクの顔面を掴むと、魔力弾を撃ち出す時に使う反発の魔法を連発して雪山に打ち付けていく。
1回――2回――3回――
打ち付けるたびに雪の中に2人は沈んでいき、ついには元の地面にまで到達する。さらに5回、6回と、アキトはひたすらマリクの頭を地面に打ち付けていく。
「グアッ……てめえ、調子に乗りやがって」
「くそっ、この!」
それでもまだ意識のあるマリクに対し、アキトは刺したナイフを引き抜いて何度も振り下ろす。強引に胸骨と肋骨を砕きながら心臓をめった刺しにしていくが、死ぬどころか気絶する気配すらない。
「ゲホッゲホッ……吸血鬼を……舐めるなよ……」
反撃の意志と共に、流れ出る血液が青い魔力に変換されながらマリクの体内に戻っていく。その魔力は損傷した心臓へと送り込まれ、機能の維持と修復をしていく。
「魔力が傷を治すのなら、心臓そのものを消すまでだ」
アキトは刃こぼれしたナイフで胸元をこじ開けると、その隙間に右手を無理矢理突っ込んでいく。切断された骨の先端が腕に刺さりながらも、痛みを無視して心臓を鷲掴みにする。
手袋越しにもかかわらず、生暖かい感触が鼓動と共に伝わってくる。アキトはそれを押さえつけるように力を籠めて握りつぶそうとする。
「潰れろ……潰れろ……潰れろ……潰れろ……」
魔力の行き場を無くすために、アキトは心臓を握りしめる手に魔力を次々と込めていく。拳の中心に向かってグラビティによる重圧で押し潰していくが、マリクも全神経、全魔力をもって抵抗し、両者の魔力がせめぎ合う。
「潰れろ、潰れろ、潰れろ潰れろ潰れろ!潰れろ!潰れろ――ッ!」
完全に理性を置き去りにして、アキトは自身の制御量をはるかに超えた魔力を放出する。それにより暴走したグラビティによって重力が爆発的に増大していき、空間そのものが歪み始める。
空間の歪みは心臓を掴んでいるアキトの手を飲み込み、魔法に変換されずに溢れ出す魔力すらも引きずり込んでいく。
「クソがぁ」
そして、歪んだ空間は完全なる漆黒に塗りつぶされた。
「……」
抵抗を感じなくなったアキトは握りしめた拳を開き、持っていた小石のような物を捨てる。マリクの様子を確認すると、胸の中心が抉れてクレーターができており、心臓を含むそこにあるはずの体内組織が跡形もなく消えていた。
「ハァハァ……やったのか? 僕が……殺したのか。ハハ、ハハハハッ」
引きちぎられた臓器や血管が修復することも、そこから流れ出した血液が魔力に変換されることもない。ただ、アキトの吐き出す自嘲の声が、戦場の中へと消えていくだけだった。
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