01-18 断崖絶壁の戦い

wildlife photography of mountain goats

 北へ進むにつれて、周囲は完全に雪景色へと姿を変える。駐屯地で支給された防寒着に身を包み、敵の目を避けるように細い崖道を進んでいく。眼下には真っ白に染まった森林や山々といった美しい大自然が広がっているが、その絶景を楽しむ余裕などなかった。

「うわっ」

「大丈夫か?」

「はい。ありがとうございます」

 雪に足を取られたアキトはバランスを崩してよろけてしまう。幸い、後ろにいたシンが支えてくれたため大事には至らなかったが、不意の出来事に思わず肝が冷える。

「ああ、くっそ。なんでこんなとこ、通らなきゃいけねえんだよ」

 ただでさえ人1人がようやく通れる幅しかないのに、断崖絶壁にあるがゆえに雪の混じった強風が容赦なく吹き付けてくる。体格が人一倍大きいエーは余計に狭く感じてしまい、どうしてもこの悪路に文句を言わずにはいられなかった。

「仕方ないでしょ。ここを通るのが一番近いんだから」

「分かってるよ」

 本来であれば遠回りになるが安全な道を行く予定たった。しかし馬車が通れるような広い道は敵に発見されやすいため、多少危険でも最短ルートでエルフの里を目指すことになった。

「この先に、何か居るわね」

「敵か?」

「崖に貼り付いて動いてる……野生動物かも」

 しばらく進んでいくと、先頭にいるシイが探知魔法によって何かを察知する。どうやら進行方向のカーブの先に何かがいるらしい。反応的には人間ではないが、危険な野生動物の可能性もある。

 シイは魔力の球を3個ほど浮かべ、ライフル銃を構えながら慎重に進んでいく。

「グルル――」

 そこでシイが目にしたのは、絶壁のわずかな突起物に足を乗せて貼りついているキマイラだった。山羊の肉体に獅子の頭部がくっ付いており、尻尾として伸びている蛇と合わせて3つの頭が彼女たちを睨みつけている。

「この前見たのと違う。陸戦型!?」

 先日に襲撃してきたキマイラとは違う造形に驚きながらも、シイは即座に照準を合わせて引き金を引く。対するキマイラも絶壁を器用に駆けながら銃弾を回避し、時間差で放たれた魔力のレーザー【ファーストレイ】も白色のシールドを形成して受け流す。

「こんな狭い場所じゃ、身動きできねえぞ!」

「私が援護します。シイ、悪いけど少しの間、持ちこたえてちょうだい」

「頼みますよ、先輩」

 足場の悪いこの状況ではエーの言う通り、いつものように戦うことができない。そこでマルームは魔力弾を多数形成すると、崖の外側に向けて全て発射する。

 発射された魔力弾は大きく弧を描き、キマイラの側面から攻撃を加える。

(曲がる魔力弾!? 確かに、これならこの状況でも攻撃できる)

 シールドで受け止めきれなかった分が直撃し、キマイラの動きが一瞬止まる。シイはボルトアクションを素早く済ませ、マルームも第2射の準備を行う。

「グウゥゥ……グオオオオ――ッ!!」

「うわ、耳が」

 キマイラは即座に体勢を立て直すと、獅子の頭が大きな雄叫びを上げる。魔力で増幅された咆哮によって、アキトたちは一瞬だけ意識が遠のく。同時に山羊の頭部に生えた角を前方へ突き出すように変形させると、先頭にいるシイに向けて突進する。

「エーさん、ありがとうございます」

「まだだ。気を抜くんじゃねえぞ」

 シイとエーが2人がかりでシールドを形成することで、その巨体ごと攻撃を受け止めることに成功する。だが、キマイラの頭部は1つではない。

 獅子の頭部は大口を開けて牙を向け、尻尾の蛇はマルームの第2射をシールドで防ぎながら岩石の弾丸【ロックバレット】を上空に放つ。

「内部に炸裂魔法……ただのロックバレットじゃない!?」

「マジかよ!」

「エーさん、正面は大丈夫です。皆は上を!」

 ラプラスの魔眼で魔法の発動を視ていたアキトは、それが通常のロックバレットではないことを見抜く。それを聞いたシイが全員に頭上を守るように警告すると、上空でロックバレット破裂して岩石のシャワーが降りかかる。

「これ以上、好き勝手はさせない」

 エーが炸裂したロックバレットの破片を防ぎながら、シイは2枚目のシールドを形成する。噛み付いてきた獅子の頭部を抑え、ライフル銃を突き付けて反撃をする……はずだった。

(魔力分解!? そんな、シールドが消える)

 物質を魔力に分解する魔法【魔力分解】……それが、キマイラが獅子の牙に込めた魔法だった。シイが気付いた時には既に遅く、食いつかれた接触面からシールドが溶けるように魔力に分解されていく。

 シイは魔力を放出して形状を維持しようとするが、獅子が噛み付く力には勝てずシールドが完全に消滅する。

「ガハッ……」

 無防備になったシイの喉元に獅子が噛み付き、気道を潰して絞め殺しにかかる。痛みで意識が一瞬飛び、シールドの空中固定が外れてしまう。押しのけられたシールドは崖の下へと落ちていき、抑えていた鋭い山羊の角が彼女の腹部を突き破る。

「クソッ、シイを離しやがれ!」

 首筋と腹部から血液が止まることなく溢れ出し、シイの身体を真っ赤に染め上げる。何度もロックバレットの破片が降り注ぐ中、エーが隙間から攻撃しようとするがシールドによって阻まれてしまう。

(せめて……この厄介な頭だけでも……)

 シイは突き刺さった角を左手で抑え、引き抜こうとする山羊の頭部を動かないように固定する。それに反応して獅子の頭部がさらに力を込めてくるが、気力を振り絞って1枚の魔法陣を展開した銃口を突き付ける。

「ア゛ア゛ッ――」

 首の骨が噛み砕かれるのと同時に、潰れた喉から声を絞り出しながらシイはライフル銃の引き金を引く。放たれた銃弾は押し付けた魔法陣【ボルカノバレル】を取り込み、獅子の頭部を貫くと同時に爆発を起こす。

(はは……ざまあみろ)

 キマイラの持つ獅子の頭部は爆散し、食いちぎった肉塊を吐き出しながら鮮血と肉片を巻き散らす。押し付けた銃身も粉々になるが、それを認識する余裕はシイにはなかった。

「ガアアァァ――ッ!」

 キマイラは痛みに悶えながら、残った山羊の頭部を大きく振り払う。シイに抵抗する力は残っておらず、その勢いで角から引き抜かれた肉体が無造作に空中に放り出される。

「嘘でしょ、シイっ!」

「よせマルーム、落ちるぞ」

 マルームは思わず身を乗り出して手を伸ばすが、当然届くはずもなかった。崖から落ちないようにジェイコブ隊長に体を掴まれながら、放り投げられたシイを見送るしかなかった。

(ああ……眼鏡、落しちゃった……よく見えないや……)

全身の感覚はとうに無くなり、かすれた視界もブラックアウトしていく。マルームの声が届いたのかは分からないが、シイは眼鏡越しに彼女の方を見上げながら崖下に広がる深い森の中へと吸い込まれていった。

「そんな、シイさんが……」

「ガアアァァ――ッ!」

 アキトが悲しむ暇もなく、獅子の頭部を失いながらもキマイラは山羊の角を突き立てて突っ込んでいく。エーは突き出された角を掴んで受け止めると、自慢の怪力で侵攻を止める。

「ウオオォォ!!」

 エーは雄叫びを上げながらキマイラを持ち上げ、崖の下へと放り投げる。ロックバレットによる岩石のシャワーも止み、ようやくクロムウェル隊の道が開ける。

「よし、今のうちに急ぐぞ!」

 ジェイコブ隊長の号令と共に崖道を急ぎ足で進み始める。しかしキマイラもただでは落下してくれず、魔法で形成した足場を蹴って飛び上がってくる。

「シンさん!」

「俺のことは心配するな! すぐに追いつく」

 最初に反応したシンが崖から飛び降り、シールドで抑え込むようにしてキマイラの勢いを殺す。両者は空中で弾け飛び、絶壁の凹凸に掴まって互いに睨み合う。残されたアキトたちはその言葉を信じて、急いで先へと進んでいく。

……

…………

 崖道を登り切った先は森林が広がっていた。敵の待ち伏せを警戒していたクロムウェル隊だったが、そこで待っていたのは見覚えのある人物だった。

 鎧に身を包んだ白い羽を持った銀髪の女性騎士……それは駐屯地で別れたはずのエスカだった。

「エスカ……良かった、生きていたのね!」

 想像もしていなかった人物に、マルームが嬉しさのあまり真っ先に声をかける。他の皆も声には出さなかったが、エスカと再会できたことを驚きつつも喜んでいる。


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