キマイラに襲われた崖道を登り切ったクロムウェル隊の前に、駐屯地で別れたはずのエスカが待っていた。驚きながらも彼女と再会できたことに、殺伐とした状況に希望を見出す。
「違う……エスカさんじゃない」
「アキト君、何言ってるの?」
「マルーム、貴女も視えているはずでしょ……これは幻影だって」
だが、アキトとソフィア王女はそうではなかった。2人の持つ眼はこの光景が現実ではなく、魔法によって作り出された幻影であると見抜いていた。それはエルフであり精霊の眼を持つマルームも同じはずだが、彼女は認めようとはしなかった。
「ねえエスカ、シグレは? シグレも一緒なんでしょ?」
「よせ、マルーム!」
「隊長、どいてください。なんで邪魔するの!?」
返事のないエスカに、マルームが必死に声をかけながら近づこうとする。幻影と知ったジェイコブ隊長たちが壁になって食い止めるが、それでも彼女を本物だと信じて疑わない。
「マルーム、現実を認めなさい」
ソフィア王女が魔法で風の弾丸【エアショット】を撃ち出すと、着弾と同時に幻影が歪んで消えていく。そして突き付けられた現実の光景に、マルームは悲鳴をあげて膝から崩れ落ちる。
「あ、ああ……嫌ああぁぁ――!!」
(何で、エスカさんの首だけが残って……)
森林の入り口だと思っていたこの場所はただの岩場であり、正面の岩の上にはエスカの首が鎮座しているだけだった。切断面は塞がれており、血痕も残っていない。しっかりと青い両眼を開いてこちらを見つめている姿は、つい先ほどまで生きていたのではないかと錯覚させる。
「魔法じゃない。本物だ……本物のエスカさんの……」
エスカの首を見るアキトの眼には魔法の反応は映っていない。それはすなわち目の前の生首が本物であることを意味する。ラプラスの魔眼によって否応なく突き付けられる現実に、ただ言葉を失い立ち尽くすことしかできなかった。
「!? しまった、敵だ!」
その直後、ジェイコブ隊長が声を上げる。アキトがその声に気付いた時には既に遅く、端にいた騎士の首が宙を舞っていた。首を刎ねたのは分割された刀身の付いたワイヤーであり、岩陰から現れた人物の元へ巻き取られていく。
(首のない騎士……デュラハン!)
堂々と現れたのは首のない騎士【デュラハン】だった。その異様な姿にアキトは息を呑むが、ジェイコブ隊長たちは武器を構えて警戒する。手に持った蛇腹剣を一旦鞘に納めると、首無しの騎士はエスカの首を手に取る。
「私は魔王軍四天王、ロザリア・ダーウィン」
そして自分の身体に取り付けると、エスカの口を使って語り掛ける。それは確かに聞き覚えのある彼女の声であり、完全にデュラハンの首として取り込まれていた。
「アンタが隊長だね」
「そうだが――ッ!?」
返事をした瞬間、蛇腹剣が伸びてくる。ジェイコブ隊長はとっさに盾で防いだが、ロザリアは距離を詰めて追撃を仕掛ける。
「エー! ソフィア様たちを守れ! こいつは俺たちでやる」
「おうよ。もうこれ以上、仲間は殺させねえ!」
(僕だって死にたくない。人が死ぬところも見たくない)
ジェイコブ隊長は指示を出すと、3人の騎士を従えてロザリアを取り囲もうとする。指示を受けたエーが巨大なメイスを構えて残った3人の前に立ち、アキトも恐怖で疼く傷口を抑えながら敵を見据える。
「ちっ、また幻影か」
「エーさん、2時の方角……今消えた岩の裏です」
「サンキュー、それだけ分かりゃ十分よ」
周囲の風景が幻影によって変わろうとしている。それを観察していたアキトが、ラプラスの魔眼によって魔法の発動中心を発見する。
エーが巨大なメイスを振り下ろすと、地走りによって地面が隆起していき指定されたポイントを破壊する。
(青い魔力ということは、エルフではないはずですが……感知系の魔眼持ちが3人もいては、いささか分が悪い)
「こいつは私の獲物だ。アンタは周りの連中をやりな」
「まったく、ロザリア様も人使いが荒い」
地走りによる余波をシールドで受け止めながら、ゲシュペンスト隊を指揮していたゲイザーが姿を現す。幻影魔法を見破る精霊の眼を鬱陶しく思いながらも、ロザリアの命令に従ってクロムウェル隊の分断を図る。
「ねえ、答えてエスカ! シグレは?」
「シグレ? ああ、駐屯地にいた侍の旦那か」
幻影だと判明したにもかかわらず、マルームはまだエスカ本人だと思い込んでいる。そしてロザリアがシグレを知っていたことで、彼女は期待に満ちた目でその回答を待ちわびる。
「そいつならグライヴが殺したよ」
「そんな……」
「嘘よ……嘘よ、嘘よ! シグレは同期の中で一番強かったのよ! エスカでも勝ち越せなかった。それなのに、そんな」
ジェイコブ隊長の攻撃を盾で受け止めながら、ロザリアはあっさりと事実を告げる。アキトたちは言葉を失い、マルームは取り乱しながらシグレの死を否定する。
「へえ、アイツより強かったのか。グライヴに取られたのは勿体なかったね」
「あ、ああ……」
自分が戦ったエスカよりシグレが強いと聞いて、ロザリアは彼と戦った同僚を羨ましく思う。真実に耐えられなくなったマルームは膝から崩れ落ち、アキトとソフィア王女に支えられる。
「おいおい、何てことしてくれてんだよ。俺も40になったしさあ、そろそろエスカたちに後を譲って……のんびり嫁さんでも探そうと思ってたのによぉ!」
「何だい、私の1個下じゃないか。それなのに引退とか、軟弱にもほどがあるよ!」
「けっ、同年代かよ。エスカの顔を奪いやがって。アンチエイジングのつもりか」
「そんな理由だったら息子に嫌われちまう……おっと、独り身のアンタには理解できないか?」
「そりゃ、どうも!」
ジェイコブ隊長は湧き上がる怒りに感情が支配されないように、ロザリアはこの戦いを楽しむように……互いに相手を挑発しながらも、その動きに迷いはなかった。
「ハハッ、さすがはこの首の隊長だ。楽しませてくれるじゃないか!」
「気持ちわりいなぁ。エスカの声で喋るんじゃねえっ!」
ジェイコブ隊長とロザリアの一騎討ちに終わりは見えず、互いの武器と魔法をぶつけ続けている。ゲイザーの幻影を駆使した徹底的な足止めによって、誰も加勢に向かえなかった。
「左の幻影は罠です。内部に魔法が仕掛けられています」
「赤い魔力が回り込むように泳いでいるわ。本体はそちらです」
(まったく、やりにくい事この上ない)
ラプラスの魔眼を持つアキトと精霊の眼を持つソフィア王女によって、張り巡らされた幻影を次々と暴いていく。だがゲイザーは苛立ちを感じながらも、決して焦ることなく分断と時間稼ぎを徹底する。
(はぁはぁ……シンさん、早く戻ってきて)
放心状態のマルームに膠着した戦況……精神的疲労が蓄積してきたアキトは、状況の打破をシンに願う。
すると願いが届いたのか、登ってきた崖の方から雷鳴が聞こえてくる。アキトが思わず目を向けると、そこには稲妻がはるか上空まで立ち昇っていた。
「キマイラを倒してきたのか……面白い」
ロザリアは雷を纏わせた蛇腹剣を最大まで伸ばすと、蛇がとぐろを巻くように自身の周囲に振り回す。ジェイコブ隊長は高圧水流を一点に向けて放つ魔法【ウォーターレイ】で妨害を試みるが、蛇腹剣が作り出す雷の渦に弾かれてしまう。
「駐屯地での借り、アンタで返させて貰うよっ!」
ロザリアは回転の勢いを止めることなく、シンが攻撃するタイミングに合わせて豪快に蛇腹剣を一閃する。落ちる稲妻と昇る稲妻が衝突し、轟音と共に放電したスパークが周囲に巻き散る。
「こんなものかい? アイツの一撃はもっと重かったよ!」
その攻防は一瞬で決着が付いた。ロザリアの放った雷を纏った蛇腹剣による一閃【雷斬り】が、シンが纏っていた雷を両断して天へと昇る。
「シンさん、大丈夫ですか?」
「ああ、この程度なら問題ない」
シンは右肩が血で赤く染まりながらも、上空から砕けたシールドの破片と一緒に落ちてくる。その様子にアキトは心配して声をかけるも、何事もなく着地して返事を返す。
『ロザリア様、2人だけではこの場は持ちません。デリーターの射程圏まで下がりましょう』
『戦力を削ることは成功したが、こっちもキマイラブルートを失っちまった。口惜しいが、潮時だね』
『撤退ですか?』
『ああ、デリーターにもそう伝えな』
『了解。ルートAで指示します』
同時にロザリアは、シンが合流したことで形勢が不利になったことを悟る。ゲイザーからの念話に撤退の意志を示し、後方に控えるデリーターに伝えるように命令する。
「何をコソコソしてやがる!」
ゲイザーが放った信号弾にジェイコブ隊長は警戒するも、遠くから空戦型キマイラが突如として出現する。背中にはデリーターが乗っており、一直線にこちらを目指して飛んでくる。
「何? 囲まれてるじゃん」
デリーターはライフル銃で牽制射撃をしつつ、キマイラを崖の先まで飛ばす。援護を受けながら、ロザリアたちはクロムウェル隊の包囲を突破しにかかる。
「逃がすものか。総員、かかれぇ!」
「中々やるじゃない、隊長さん」
ジェイコブ隊長の号令により一斉に攻撃を仕掛けるが、ロザリアとゲイザーは一点突破により包囲を振り切る。そして崖の下へと飛び降りると、デリーターが操るキマイラの背に乗って撤退していく。
コメント