森の中にある沢で、ストライクボアがのんびりと水を飲んでいる。追跡していたアキトとシーリスは荷物を降ろし、それぞれ武器を持って静かに攻撃態勢を整える。
(そのまま、そのままでいてくれ)
アキトは正八面体の各頂点を尖点にした魔力弾【アステロイド】を周囲に展開し、草木の陰から狙いを定める。猪は聴覚に優れているため、物音を立てないように細心の注意を払う。
視界の端にストライクボアに忍び寄るシーリスを捉える。彼女は柄に対して垂直に刀身が付いた短剣【ジャマダハル】を両手に持ち、奇襲できる位置まで移動する。
(……この距離なら行けそうね)
シーリスがストライクボアまで10メートル程の位置まで近づくと、腕を上げて準備ができたことを伝える。合図を受け取ったアキトは、大きく深呼吸をして改めて相手を見据える。
(よし、行け!)
アキトが魔法を込めて放ったアステロイドは、木々の間をすり抜けて一直線に目標へと突き刺さる。痛みで暴れ出したストライクボアはその場から離れようとするが、着弾と同時に発動したグラビティによってその場に固定される。
それと同時にシーリスが飛び出し、冷気を纏ったジャマダハルを撃ち込む。脇腹付近に突き刺さった刀身から冷気があふれ、ストライクボアの体内へと侵食していく。
(なんだ、魔力が溢れてる?)
アキトが第二波を用意していると、ストライクボアを纏う魔力が沸き上がって来るのが視えた。気付いた時には既に遅く、その魔力は魔法を形成することなく直接周囲へ放出される。
「シーリス、下がって!!」
アキトの声も虚しく、防御が遅れたシーリスが吹き飛ばされる。それによりグラビティの発生源であるアステロイドも体内から抜け、ストライクボアが重力場から解放される。
「くっ!?」
シーリスは突っ込んできたストライクボアを避けながら、崩れた体勢を立て直す。ストライクボアは彼女に目を付けたのか、勢いを殺さずに方向転換をして再度突進する。
「とにかく、勢いを止めないと」
動きを止めるために、アキトはアステロイドの第二波を発射する。しかしこちらに気付いたストライクボアは、その場で大きく跳躍することで回避する。その高さはシーリスの頭上を越え、落下と同時に牙を振り下ろして反撃に転じる。
「カッカッカッカッ」
ストライクボアが歯を噛み合わせて音を鳴らしている。鼻息は荒く、たてがみも逆立てている。先ほどの反撃を避けられたせいか、完全に怒り心頭といった様子だった。
「これは、気合いを入れないとダメみたいね」
シーリスは下半身に魔力を集中させると、その部分を狼の脚へと変化させる。危機を察知したストライクボアがすかさず突進してくるが、彼女は両腕の武器でその巨体を受け止める。
「いい加減に!」
シーリスは受け止めたまま大きく空気を吸い込むと、冷気の息吹【アイスブレス】を吹き付ける。驚いたストライクボアは押し込むのをやめ、数回バックステップをして距離を取る。
(氷の魔法……それなら!)
「こっちだ! こっちに来い!」
それを見たアキトが何かを閃いたのか、声を上げて走り出す。ストライクボアの前を横切り、魔法を込めずにアステロイドを斉射して注意を引き付ける。
「アキト君、何をする気!?」
「沢の中で氷漬けにする。さっきの魔法ならできるはずだ」
「……分かった。やるわ」
突然の行動に驚いたシーリスだったが、アキトの提案に力強く頷く。ストライクボアは完全に頭に血が上っているのか、魔力を凝集させた膜【魔力障壁】でアステロイドを弾きながら彼を追いかけて突進して行く。
「フガァ! フガァ!」
繰り返される突進をシュヴァルツシルトで受け流しつつ、アキトは脛が浸かるほどの深さの沢の中に立つ。そこに全身に魔力を巡らせて身体能力をさらに強化したストライクボアが、わき目も振らずに一直線に突撃してくる。
「よし、そのまま来い」
ストライクボアが完全に沢の中へ入った瞬間、アキトは足元の重力を反転させて沢の水を噴き上げる。大量の水がその巨体をずぶ濡れにするが、シュヴァルツシルトに激突されたことで彼は吹き飛ばされてしまう。
(アキト君が作ってくれたこの一瞬……逃しはしない!)
激突の衝撃で動きが止まった瞬間をついて、シーリスが容赦なくアイスブレスを浴びせる。濡れた部分から次々と凍結していき、ストライクボアが沢ごと氷漬けにされる。
完全に動きが止まったところで、2人はトドメを刺すべく魔力を高める。
「「はあぁぁ!!」」
アキトが杖の先端に魔力刃を形成して、そこに強力な魔法を込める。
シーリスが全身を魔法で強化して、上半身を反らして力を籠める。
「フガァ! フガァ!」
暴れて氷の拘束を破ろうとしているストライクボアの頭部に、アキトは形成した魔力刃を突き刺す。魔力障壁に阻まれて深くは刺さらなかったが、さららに力を込めて強引に押し込んでいく。
「こいつも、もっていけ!」
アキトは魔力刃を射出すると、分離した刃が押し込まれて魔力障壁を突き破る。その先にある頭蓋骨まで刺さったところで、重力魔法【ディストーション】が発動する。
ストライクボアの頭部が空間歪曲に呑み込まれ、強力な重力によって空間ごと捻じ曲げられていく。
「これで最後!」
そこへシーリスが物凄い勢いで突っ込んできて、両手のジャマダハルを一点に叩き込む。衝撃波を伴う一点集中の突撃【アサルトバスター】により、ストライクボアの頭部が千切れ、胴体と共に対岸まで吹き飛んでいった。
……
…………
「うわぁ、なんか酷いことになってる。アキト君、中々エグイ魔法使うね」
「別にそんなつもりはないんだけど……」
下半身の狼化を解除しながら、シーリスが吹き飛んだストライクボアの頭部を拾ってくる。鼻や耳といった穴から血と一緒に肉片が垂れており、原形が分かるだけマシといった有様だった。
「とにかく、これで討伐完了だよ! アキト君もお疲れ様」
「うん、お疲れ様」
お互いに苦労をねぎらうと、アキトは近くの岩に腰を下ろす。戦闘の緊張感が解けたのか、全力を出した疲労感がどっと押し寄せてくる。シーリスも裸足では辛いのか、速足で脱ぎ捨てた靴を拾ってアキトの隣に座る。
「靴、脱いでたんだ」
「履いたままで獣化すると破れちゃうからね」
特定の種族の人は全身あるいは身体の一部を変身させることができる。シーリスは下半身を部分的に変身させることが多いらしく、履いている長ズボンには動きやすいようにスリットが入っている。
「ちゃんと、倒したみたいだな。よくやった」
森の中からシンがやって来た。怪我もなく岩場で休憩している2人とストライクボアの死体を眺め、その成果を褒める。
「そっちはどうでしたか?」
「問題なく仕留めた。悪いが運ぶのを手伝ってくれ」
(アレを1人で倒したんだ……)
アキトは無事に合流できたことを喜び、シーリスは2人がかりで倒した相手を1人で倒したことに驚く。そしてシンに連れられて向かった先には、確かにストライクボアが横たわっていた。
「俺が担ぐから、2人は後ろから押さえてくれ」
「それなら僕は魔法で軽くしますよ」
シンがストライクボアを背負うと、アキトがグラビティを使って負担を軽減する。そして2人が後ろから支えると、まだ生きているのか体が微かに振動していている。
「え、まだ生きてるの!?」
「解体するために全身を麻痺させてある」
生け捕りにしたことに疑問を感じていたシーリスだったが、解体すると聞いて納得する。そしてストライクボアを先ほどの沢まで運ぶと、シンはナイフと空の瓶を用意して解体に取りかかる。
「2人とも、少し離れてくれ」
シンは微かに呼吸するストライクボアの前足を持ち上げ、首周りを触って観察する。そして首元にナイフを突き刺し、握った手から魔法で雷を発生させる。電流はナイフの刃を伝ってストライクボアの体内を駆け巡り、全身が一瞬だけ痙攣する。
電撃を数秒ほど流し込むとシンはナイフを抜き、今度は首の真下から心臓に向かって刺し込んでいく。心臓に繋がる血管が切れたことで血液が溢れ出してくるので、それを空き瓶に回収する。
「アキト、足を持ち上げてくれ」
「はい」
慣れているのか、シンの指示通りにアキトは後ろ脚を持ち上げて放血を促す。呆気にとられていたシーリスだったが、巨体故に持ち上げに苦労しているのを見て手伝いに入る。
放血が終わると、シンはナイフでストライクボアの体を開いていく。毛皮の下には肉があり、その下には白い脂肪の膜が張っている。そしてその膜を切ると、今度は内臓が顔を出す。
「へー、猪の内臓ってこうなってるんですね」
「アキト君はこういうの、平気なんだね」
ストライクボアの内臓をまじまじと観察するアキトに、シーリスは感心する。戦闘でも十分に魔法を駆使して戦えていたため、先輩として自分が教えることは無いような気がした。
(あーあ、私もようやく後輩ができたと思ったんだけどなー)
「シーリス?」
「何でもない……あ、体が開いたよ」
そうこうしているうちにシンは胸骨と肋骨の接合部を切断して、喉から肛門にかけてストライクボアの体を完全に開く。そして食道を切って持ち上げると、他の内臓も一緒にくっ付いて持ち上がる。膜にくっ付いた部分をナイフで切って分離すると、全ての内臓が一体となって剝がれる。
「肉は切り分けていくつか保存食を作る。余った分は今日の晩飯だな」
「「おおおー!!」」
これには思わずアキトとシーリスも声を上げる。ストライクボアは魔物化していたとはいえ元々は猪、肉にしてしまえば変わりはない。
「それなら私の泊ってる宿に来ませんか? 空いていれば厨房を貸してくれますよ!」
シーリスの提案にアキトとシンは同意する。バーストン公爵邸で一泊した後の宿はまだとっていなかったので、空き部屋があればそのまま宿泊することにした。
その後は3人がかりで肉を切り出し、宿で猪肉のフルコースを堪能した。
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